第189回国会 2015年5月27日文部科学委員会

小中一貫 統廃合進む~参考人質疑

「小中一貫教育」を制度化する学校教育法改定案についての参考人質疑が27日、衆院文部科学委員会で開かれ、和光大学現代人間学部の山本由美教授ら3人が意見陳述しました。

 「小中一貫教育」の実態調査に取り組んでいる山本氏は、制度化には▽一貫校と非一貫校を同一条件で比較した調査がほとんどない▽学力向上、問題行動の減少などと「小中一貫教育」の因果関係が不明▽教育的効果とデメリットの検証が不十分―などの問題点があると指摘。メリットとして挙げられている小中教員の連携は「一貫校にしなくても実現可能だ」と述べました。

 また山本氏は、一貫校の設置が大規模な学校統廃合に用いられている米国・デトロイト市などの例にも触れながら、制度化は「学校統廃合を促進するための方途になる」と指摘。朝日新聞の調査(2013年)では、「学校統廃合の中での計画」が導入理由の1位になっていることを示し、一貫校の設置は「統廃合がメーンの目的になる」と主張しました。

 日本共産党の畑野君枝議員は、一貫校において「小学校高学年の主体性育成」に課題があると指摘されていることについて質問しました。

 山本氏は、小学校高学年で有用感を育み、人格形成の基礎をつくることが、中学校での成長にもつながっていると指摘し、「発達の過程を見ないで(学年段階の区切りを)いじってしまってはいけない」と批判しました。

( 「しんぶん赤旗」2015年5月30日(土)付け )

 

【会議録】 

畑野委員 日本共産党の畑野君枝です。
 天笠茂参考人、國定勇人参考人、山本由美参考人、本日は大変貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございます。
 まず初めに、天笠参考人に伺います。
 天笠参考人は、中央教育審議会にかかわってこられたと伺っております。小中一貫教育の問題について、成果と同時に課題もあると中教審では論じられてきたというふうに思います。
 具体的に伺いたいんですけれども、例えば、小学校と中学校の教職員の打ち合わせの時間の確保の問題や、合同研修の時間の確保の問題、それから教職員の負担軽減、それから、先ほど議論にもなりました小学校の高学年の子の主体性の育成の問題など、議論を重ねてこられたと思うんですが、この点について少し詳しくお伺いできればと思いますので、お願いいたします。
天笠参考人 今の、時間の調整ですとか、あるいは小中の授業の連携とか行き来とか、幾つかあるわけですけれども、例えば時間の調整というのは、ちょっと先ほども申し上げましたけれども、次第にそれぞれ知恵を出し合いながら時間の確保を何とかしていくというんでしょうか、そういうふうなやりくりをしながらということと、片や、小中の間で授業を交流していこうという場合には、もちろん、その小中の間の当事者間の連絡、打ち合わせもありますけれども、やはりそこには、教育委員会のそういう支援というんでしょうか、手当てというのがその話の中に入ってくる場合と入ってこないという場合とがあるわけです。
 例えば、小中で授業の交流をもっと積極的に進めたいということで、ついては、そのときに教育委員会の方がそのための人の手当てをしてというふうな形でそれに入ってくるとかというふうなこと等があるわけで、ある意味でいうと、一定の時間的な経過の中でそれぞれが、一つ一つがそのときの課題解決、課題改善というふうな、そういうふうな形になっていくというんでしょうか、そういう意味でいうと、私は、その取り組みのプロセスにかなり意味があって、そのプロセス自体に、この取り組みをその組織が主体化していくというふうな営みがそこに入っていったときには、次第に、成果と言えるというんでしょうか、成果をその組織のメンバーが共有し合う、認識し合うというふうな姿がそこから生まれてくるんです。
 残念ながら、その主体化というところができずに、どうしても、させられる取り組みだというふうな認識の状態をお一人の先生が持っていますと、言葉としては、やはり負担感という言葉が口をついて出てきたりですとか、現実にそういうことが負担という言葉の中でそれぞれ共有されていくというふうな形で、なかなかそこのところを乗り越えられないというふうなこと。
 ですから、今回のこの取り組みというのも、そういういろいろな課題を、それぞれいろいろな委員会等々の支援も含めて改善を図りながら一つずつ積み上げていってというふうな、そういう軌道に乗せられた、乗せることができたところと、なかなかそこまで立ち行かないで、次第に別の意味で状況が難しくなっていくところで、その先打開するのが非常に困難な状況に直面しちゃうような、そういうケース等々に出会うということがあります。
 そんなところからすると、内部的に改善できるところと、行政的に、ある意味ではそれを手当てしていただくとか支援していただくとか、その組み合わせが大切になってくるという意味では、そういう意味でいうと、学校と教育委員会との連携というふうな言い方ができるかと思うんですけれども、もちろん、これは学校間の連携、一貫のテーマなんですけれども、学校と教育委員会の関係づくりということも、またこのことを進めていくに当たっては一つの大切な点になるのかな、そんなふうに思っております。
畑野委員 ありがとうございました。
 次に、國定参考人に伺います。
 本日お持ちいただきました資料を拝見させていただきました。最後の五ページのところに施設整備の問題を書いてくださいまして、「施設整備に対する国庫負担は二分の一とされているが、補助対象である基準面積、建築単価等が現実的ではなく、地方自治体の負担が多大である」という見直しの必要性を訴えておられるんですけれども、この点、もう少し詳しくお話しいただければと思います。
國定参考人 大変失礼いたしました。実はここについては全くこれまで述べておりませんで、先ほど来申し上げていたのは、そもそも別の次元として、補助制度をもうちょっと拡充してほしいということなんです。
 この点については、基準単価、ここに「基準面積、建築単価」というものがあるわけですけれども、現実的に小学校、中学校あるいは一体校というものを建設しようとするときに、平米当たり幾らというのは大体相場があるわけですけれども、ここよりもはるかに下回った単価設定をされているんです。面積についても、普通の小学校、中学校が普通の形で整備しようと思うよりも、はるかに補助対象となる面積というものは小ぶりになっている。
 その結果、これが補助対象額ですよと言われているよりもはるかにはみ出る金額が積み上がってしまっておりますので、そこは全部私どもが自己負担をしていかなければいけない、こういうような構造になっているということであります。
畑野委員 わかりました。ありがとうございます。御苦労されているということを伺いました。
 次に、山本参考人に伺います。
 資料をお示しいただきましたけれども、時間の関係で詳しくお話をされなかった点があるかと思いますので、その点について伺いたいと思います。特に、アメリカの州の状況について資料も含めてお示しいただきましたけれども、もう少し詳しくお話を聞かせていただきたいと思います。
山本参考人 先ほど、資料十二、十三でデトロイト市とシカゴ市、これは、私はフィールドなので年に何回か行って統廃合調査をしているところでございまして、この話を少しさせていただければと思います。
 資料十二は、デトロイト市の、先ほど申しました、二〇〇三年から二〇一三年にかけて公立の小中校の数が三分の一に削減された。それは、小学校と中学校がほとんど消滅して、小中一貫校がふえた、そういう劇的な学校改革が行われたんですけれども、それによって潰された多くの学校は貧困地域にあり、学力テストの点数が低く、それがペナルティーとして廃校の理由になったりするわけなんですが、実際行ってみると、全て小中校が潰された地域は、ほとんど地域壊滅、日本の限界集落よりもっとひどい、原子爆弾が落ちた後のような状態に、家もほとんど空き家になっているような状況になっていました。
 デトロイトの場合は、財政破綻ということもありまして市全体が切り捨てられるので、そのような状況になることもあるかと思うんですけれども、資料十三、シカゴ市、これは私は何回も行くんですけれども、ここは一応グローバルシティーと称しまして経済も成功している市なので、学校も一応エリート向けの学校を残し、力を注ぎ、そうでない学校を削っていく、そういう学校改革のスタイルをとっています。
 その中で、近隣学校、これはネーバーフッドスクールというんですけれども、学区のある普通の小学校、これが、この間の学校改革で九三%が小中一貫校になって、統廃合しながら一つの学校を大きく過密にして子供を収容するような施設として、ほとんどが貧困地域の学校なんですけれども、小中一貫校でまとめていく、予算はそんなにつけない。
 それに対して、小学校から複線化を図り、一番下から二番目のクラシカルスクールというのは、小学校でありながら入試選抜のあるエリート校、これを裕福な地域に五校ほどつくるわけです。そこは小中一貫にはしない。エリート教育は小学校でじっくりやって、人数も二百人ぐらいに抑えて、プログラムをアカデミックにして、お金をかけて、エリート教育は小学校だけで行って、中学は私立のいいところに行ったり、まあ、公立でもいいところに行くのかな。そういうエリートコースは普通の小学校に残しておいて、どうでもいいところは小中一貫でまとめてコストを削減していく、これがシカゴの、グローバルエリートとそうでないエリートを育てていく、そういう学校制度の多様化といって、いわゆる公設民営学校、今、この法案が通るかもしれないんですけれども、チャータースクールもたくさんつくって、そういうところで子供たちを安く上げるというか、そういうような改革が進められています。
 ですので、シカゴとデトロイトは、アメリカの中でも、首長の、市長の権限を強化して教育委員会の権限を弱めて、公選制でなくした例外的な自治体で、市長がどんどん教育改革を主導していけるような自治体なので、こういうダイナミックなことができるんですけれども、日本も今度教育委員会制度を改革したので、どんどん統廃合もできるかもしれないし、新しい改革を進めていくこともできる。
 例えばサンディエゴなんかは、同じような統廃合計画ができても、公選制教育委員会が生きているので、反対が多くて実現しないので、統廃合はとまるんですね。
 これらはとてもアメリカの中でも教育改革が進んでいる自治体。小中一貫校は、巨大で、収容してちょっと管理をきつくして、貧困地域にある学校というイメージがあります。
畑野委員 今、統廃合の話が出たんですが、山本参考人、四十以上の自治体を回ってこられたということで、住民の方の率直な、日本の声も聞かれていると思うんです。今回の理由の一番に、統廃合という自治体のアンケートがあったという御紹介もありましたけれども、通学時間が一時間とか、ここの委員会でも議論になりましたけれども、そういう子供の負担ですとか保護者からの御不安の声とか、そういう点はいかがなんでしょうか。
山本参考人 二〇一〇年ぐらいから、小中一貫校による統廃合反対の紛争に呼ばれるようになったんですけれども、当時は、保護者には、小中一貫校はすばらしい学校で、エリート校で、英語もできるし、勝ち組に乗れるというような宣伝がよく行き届いていまして、なかなか保護者は反対してくれなくて、地域で集会をやっても、集まるのは限界集落のお年寄りと退職教員だけというような反対集会にたくさん呼ばれたんですけれども、次第次第に、小中一貫校はどういうものなのかとか、ただの統廃合ではないかとか、そういうような学習も進んできて、保護者や地域の方が地域の学校を守るために反対運動をしているケースに呼ばれることが多々あります。
 特に小学校は、コミュニティーの文化センターというか地域の核として、住民にとっても保護者にとっても非常に重要なものであり、小学校が奪われる改革、非常に多いパターンとしては、人口八千人から一万の自治体で、小学校が三校か五校あって中学校が一校あるのを、全部まとめて一貫校にして、片道十六キロとか二十キロをスクールバスで通うというような地方の学校の切り捨てが進む中で、とにかく地域の学校を守るというような戦いが随分繰り広げられてきました。
 たまたま國定市長さんの三条市にも呼んでいただいた、住民の方に呼んでいただいたことがございますが、三条市もとてもすばらしい運動がありまして、私は三条市で感動しましたのは、地域の地場産業の金属加工業の社長さんたちが、地域の子供たちを守るということで巨大な小中一貫校の開設に反対されて、地域の教育を守りたいという運動を繰り広げられていたのが非常に印象的で、僅差で通ることになっていってしまいましたが、日本の歴史上にも残る、地域の学校を守りたいというすばらしい運動だったというふうに思っております。
畑野委員 先ほど天笠参考人にも伺ったんですけれども、課題の問題で、小学校の高学年の主体性の育成の問題ですね。
 この点について、先ほど山本参考人からもお話がございましたけれども、五年生、六年生の課題、あわせて、今、七年生、中学一年生の課題ということが言われておりますけれども、この点について天笠参考人と山本参考人に、もう少し詳しくお話を伺いたいと思います。
天笠参考人 小学校五、六年生の一つの課題というのは、人間的な成長の部分と、片や教科の専門性について、そういう意味でのレベルの一段と高くなった知識というのでしょうか、の習得という、場合によってはこれは非常にアンバランスの状態になったりですとか、片や、知的な発達からするとかなりの成長を遂げている子供たちが向き合う学習の内容ですとか中身というのが、それがうまくそれぞれの子供の成長と向き合うことが整合し切れないときに、幾つかの問題点が、指摘されているようなことが起こっているんじゃないか、そういうことが一つなんですね。
 では、それを、教科の専門性、知識を高めるということを、中学校の教師がそのまま小学校へ来ればいいかというと、話はもう一段、検討しなくちゃいけないところがあるというのはどういうことかというと、例えば英語なんかの場合ですと、それならば、中学校の先生が小学校の高学年の英語の授業を担当していただければそれで話は済むのかというと、実は小学校の英語の場合には、多くは学級担任の先生が一緒に組んでTTをやるケースというのも少なからず存在しているということで、そこには中学校の教科の専門性と小学校の担任としての専門性、それとの融合というんでしょうか、ということが問われるというようなことで、ですから、そういう意味では、学級担任制か教科担任制か、御承知のように、小中というすみ分けというところに、もう一段新しいアイデアということの必要性というのが問われているテーマなんじゃないかというふうに思っているんです。
 義務教育学校の設置というのは、こういうことについてきめ細かく丁寧に対応していく、あるいはアイデアを生み出していくということが、私は非常に大切なテーマになってきているんじゃないか、そんなふうに思っています。
 要するに、指導法とかカリキュラムの中身とか、そういうことを、よりこれまでのを超えていくような、そういうことについての手当て、課題というのを探求していくということが大切なのではないかな、そんなふうにも考えております。
山本参考人 日本の小学校というのは、小学校五、六年が集大成期というふうに今まで特徴、デザインされておりまして、さまざまな文化的行事とか運動会とか卒業式とかも、低学年から積み上げていって、最後の高学年期にリーダーとして全校を引っ張る。そのときの小学校五、六年生というのは、小学校という小さな世界の中で、ちょっと現実からは切り離されて、将来は野球の選手だとか科学者になりたいとか、リアリティーはまだなくても、その時期に夢を見て、自分を大事だと思って人格形成の基礎をつくることが、その後、中学校に行って厳しい現実とか受験にさらされる上での基礎として絶対に必要な時期で、そのときの成長課題をきちんと果たさないと、中学に行って成長していくことはできないというふうに考えています。ですので、この接続によって小学校五、六年期の、エリクソンの有能感というような、それが保障できない、発達が保障されないというのはやはり非常に大きな問題だというふうに思っています。
 そういうちょっと身近な小さな世界の中で自分の基礎をつくった上で、中学校という広い世界に行って、全く環境も違うところにジャンプすることで、いろいろな不安とか緊張感とかを乗り越えて、自分をリセットして次の段階に進んでいく、また、高校で次の段階に進んでいく、それで都会に出ていったりする。そういう人生の節目節目で成長しながら人間は人格形成していくので、そこを簡単にいじってしまっては、発達のことを見ないで簡単にいじってしまってはいけないというふうに考えています。
 以上でございます。
畑野委員 参考人の皆さん、ありがとうございました。