はたの君枝の生い立ち

戦争反対・核廃絶・平和への強い思いの原点は子ども時代です。母は戦時中、兄をみごもっているとき東京大空襲にあい、炎の中、命からがら逃げまどいました。長崎の原爆で、大おじが「水を飲みたい…」と苦しみながら亡くなった話を聞いて育ちました。

高校時代は、「瞳のなかに星が輝き、瞳うるうる少女」のマンガにひかれ、漫画研究会を友人たちとつくりました。大学時代、漫画家をめざそうか教師になろうか悩んだすえ、私立中学校の国語教諭を選びました。教諭を経て党職員になり、平和運動や雇用を守るたたかいのリーダーをつとめました。

「空母は来るな」「核を持ち込むな」――20代、米軍基地の強化に反対して、横須賀の集会などによく出かけました。神奈川県警による電話盗聴事件が発覚したのは86年。国民を守るべき警察の犯罪は許せないと、公金返還をもとめる住民訴訟の原告団にくわわりました。

出産・育児のよりどころだった県立母子保健センター廃止を県がうちだしたとき、存続をもとめて、父母のみなさんと「カンガルーの会」を結成。私も長男をおぶって県庁や当時の厚生省との交渉に行きました。いのちを生み出す尊さ、子育ての喜びと大変さを、2児の母として、しみじみ感じています。

参議院議員時代

1998年の参議院神奈川選挙で2位で初当選!文教科学委員会に所属し、当選後はじめての国会質問で30人学級の実現をもとめて以来、衆参合わせて15回、歴代7人の文部科学大臣に実現を迫ってきました。

参議院議員時代には、子どもの医療費を国の制度として無料にするなど、子育て支援のための国会決議を超党派で提案し、実現できました。

また、文教科学委員会で、原子力潜水艦等の「事故が起こりえるということを前提として対策」をとることを要求するなど、原子力艦船の災害対策も一貫して求め続けました。

衆議院議員として

2014年衆議院選挙では、比例南関東ブロックで当選しました。10年ぶりに国政に復帰し、現在は文部科学委員、法務委員を務めています。共産党文部科学部会長として先頭に立ち、35人学級の実現などを求めて、安倍首相や文科相と論戦をしています。
また、ヘイトスピーチ解消法成立にも力を尽くしました。衆院法務委員会では、成立後にも続いているインターネット上での排外行為の削除を削除するように求めました。

参議院時代はいすゞ自動車の大量解雇計画の撤回を求め、衆議院になってからは、電機大企業のリストラ問題、鉄鋼業の労災死亡事故問題など、働くひとの味方となって雇用を守ることに尽力を続けています。

また、暮らしの様々な問題の解決にも取り組んでいます。JR武蔵小杉駅や川崎駅のホームドアの設置を実現し、国交省やJR東日本にホームドアの早期設置を求めています。 

国会内での論戦では先頭に立ち、国会外では、労働、女性、教育、中小商工、建設など様々な分野のみなさんと力を合わせて、省庁とも提案や交渉をしています。
国民一人ひとりの声や願いを国会の届けて実現すること、誰もが安心して住み続けられる社会を作ることに、これからも全力を尽くしてまいります。

はたの君枝の略歴

1957年川崎市中原区生まれ。
川崎市立上丸子小学校、横浜市立上永谷中学校、神奈川県立緑ヶ丘高校、横浜国立大学教育学部卒業。私立中学の国語教諭として勤務。
日本民主青年同盟神奈川県委員長などを歴任。
1998年に参議院神奈川選挙区で2位当選し、日本共産党参議院神奈川選挙区での議席を初の獲得。
2014年から衆議院議員(比例南関東ブロック選出)。
現在は、文部科学委員、法務委員、党中央委員を務める。
家族は夫、一男一女。