金田法相 治維法否定せず

戦前の思想弾圧に反省皆無

 金田勝年法相は2日の衆院法務委員会で、戦前の治安維持法への認識を問われ、「歴史の検証は専門家にゆだねるべきだ」と発言しました。日本共産党の畑野君枝議員への答弁。

 さらに金田氏は、治安維持法犠牲者の救済と名誉回復を求めた畑野氏に対し、「(同法は)適法に制定され、勾留・拘禁、刑の執行も適法だった」とし、「損害を賠償すべき理由はなく、謝罪・実態調査も不要だ」と言い放ちました。

 戦前の暗黒政治とその中核で国民の思想・内心を徹底的に弾圧、統制した治安維持法への全くの無反省を示す重大な発言です。

 国民の内心を処罰し、監視社会をもたらす「共謀罪」法案の審議の中で、治安維持法への反省は根本問題です。日本国憲法の思想・良心の自由の原点にも関わります。

 畑野氏は、かつて三木武夫首相が「治安維持法については、その時でも批判があり、今日から考えれば、民主憲法のもとではわれわれとしても非常な批判をすべき法律である」(1976年7月30日)と答弁していたことを示し、金田法相の異常な態度を追及。治安維持法を道具に国民を弾圧し、国際社会の批判をかえりみず侵略戦争に突き進んだ歴史を指摘し、「共謀罪で同じ過ちを繰り返すのか」と厳しく批判しました。

(2017年6月4日付 しんぶん赤旗より転載)

 

【会議録】

〇畑野委員 日本共産党の畑野君枝です。まず初めに、五月十九日、前回の当法務委員会で審議を断ち切って共謀罪法案を強行採決したことに強く抗議をするものです。共謀罪法案の内容というのは、審議の中でも、まさに憲法違反であり、また、政府自身が中身をきちんと説明できない。今議論にありましたように、国連からの懸念の声も上がっております。そして、国民の多くが反対をしているものだということも明らかになりました。  五月二十二日発表の共同通信の世論調査では、政府の説明が不十分だが七七・二%。法案に賛成が三九・九%、反対は四一・四%。そして、五月十九日の当法務委員会での採決はよくなかったが五四・四%と多数を占めております。今国会で成立させる必要はないは五六・一%です。これは、五月二十五日発表の朝日新聞でも、今国会の成立の「必要はない」が五七%、「必要がある」の二三%と差がついている。安倍内閣支持層でも、「必要はない」が四一%、「必要がある」が四〇%と割れているということなんですね。ですから、私は、徹底した審議が必要だというふうに思います。  

 それで、私は、人権にかかわってきょうは質問をいたします。衆議院の本会議での採決、五月二十三日の前の五月二十二日に、治安維持法違反容疑で逮捕された経験のある四人の方が院内に来られて記者会見をいたしました。神奈川県川崎市の水谷安子さん、百三歳は、富山県女子師範学校で出会った英語教師の影響でマルクス主義などを勉強し、卒業直前に特高に治安維持法違反容疑で逮捕され、一週間で釈放されたが、退学になった、その後も二度逮捕された。千葉県船橋市の杉浦正男さん、百二歳は、当時、印刷労働者の親睦会に入っていた、一九四二年秋、メンバーの一人が反戦ビラを配ったことで、東京都内の自宅で夕食を食べているときに突然逮捕された、半年前に結婚した妻は長女を身ごもっていた、逮捕後の取り調べでは棒でめった打ちにされた、懲役三年となり横浜刑務所に、寒さや暑さに耐え、栄養失調に苦しんだ、親睦会のリーダーは刑期を終える前に栄養失調で死亡、長女を疎開させた後も東京にとどまり支え続けてくれていた妻が東京大空襲で死んだことも獄中で知った。北海道音更町の松本五郎さん、九十六歳、旭川市の菱谷良一さん、九十五歳、旭川の師範学校五年生のときに逮捕された、絵の好きな二人は美術部では生活をありのままに描く生活図画教育を受けていた、それが危険思想とみなされ、二人を含む教諭や学生二十七人が逮捕されたということを生々しく証言されました。資料では東京新聞をつけさせていただいております。安維持法犠牲者国家賠償要求同盟によると、生存されている犠牲者は全国で十九人ということです。かつて、金田法務大臣に要望をされておられます。二十二日にも国会請願と集会を行われておられまして、全国四十二都道府県から百八十人が参加をし、二十万四千二百九十五人分の署名を提出されております。そこで、金田法務大臣に伺います。治安維持法の内容についてどう認識されていらっしゃいますか。

〇金田国務大臣 畑野委員の御質問にお答えをします。治安維持法は、大正十四年に公布、施行され、国体の変革または私有財産制度の否認を目的として結社を組織した者等を処罰することとした法律であると承知をいたしております。そして、認識と言われましたが、治安維持法につきましては種々の意見があるものと承知をしております。この治安維持法の内容や適用された事例を含めまして、歴史の検証については、専門家の研究、考察等に委ねるべきものと考えております。

〇畑野委員 二〇一五年四月現在ですが、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の調査によれば、治安維持法により、警察署での拷問による虐殺者九十三人、服役中、未決勾留中の獄死者百二十八人、服役中、未決勾留中の暴行、虐待、劣悪な環境などによる発病で出獄、釈放後死亡した者二百八人、弾圧で再起できず自死した者二十五人、宗教弾圧での虐殺、獄死者六十人と報告されております。金田法務大臣に伺いますが、特高警察、憲兵などの拷問による虐殺、長期勾留による獄死などが起きたのは、法律の規定が適切でなかったからではありませんか。

〇盛山副大臣 畑野先生の御質問でございますけれども、戦前における治安維持法違反の被疑者に対しまして具体的にどのような手法により捜査が行われたのか、当該捜査手法を用いた原因が同法の規定にあるのか否かについては、それに関する資料を把握しておりませんので、お答えすることは困難でございます。しかし、一般論として申し上げれば、現在の日本国憲法下におきましては、適正手続が保障されており、捜査において基本的人権を不当に制約することがないよう、法律上の担保がなされているところでございます。 畑野委員 これはぜひ掌握していただきたいと思っているんですが。さらに伺います。  治安維持法犠牲者に対する拷問などは、当時の刑法でも禁止され、処罰対象になっていたのではありませんか。

〇井野大臣政務官 当時の法律の有無についてでございますけれども、一般論として申し上げれば、治安維持法が施行されていた間においても、特別公務員職権濫用罪であったり特別公務員暴行陵虐罪の規定は存在しておりました。

〇畑野委員 戦後の日本の原点は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容とするポツダム宣言の受諾ということにありました。それを具体化して、再び戦争をしないという日本国民の決意と願いによって生まれたのが日本国憲法です。伺いますが、治安維持法はポツダム宣言の受諾によってどうなったのか、事実経過について、まず外務省に説明を求めます。

〇岡田政府参考人 お答え申し上げます。ポツダム宣言は、我が国に対してさきの大戦を終結させるための条件を示すなどした文書であり、昭和二十年七月二十六日、当時の我が国の主要交戦国の代表者であるアメリカ合衆国大統領、中華民国政府主席及びグレートブリテン国総理大臣により署名されたものでございます。その後、同年八月八日、ソビエト社会主義共和国連邦が我が国に対し宣戦を布告するとともに、同宣言に加わった経緯がございます。我が国は、昭和二十年八月十四日、同宣言を受諾して降伏し、同年九月二日、降伏文書に署名をしております。

〇畑野委員 伺いますけれども、治安維持法ですが、ポツダム宣言の受諾によって廃止されたことについて、法務大臣の御見解を伺いたいと思います。

〇井野大臣政務官 治安維持法についてでございますけれども、ポツダム宣言受諾後である昭和二十年十月十五日に「治安維持法廃止等ノ件」と題する昭和二十年勅令第五百七十五号が公布、施行されたことにより、同日廃止されたものと認識しております。

〇畑野委員 この議論は国会でかつてもやられておりまして、金田大臣の御答弁もあったわけですが、一九七六年の九月三十日、我が党の正森成二衆議院議員に対する三木武夫総理の御答弁という点では、「治安維持法につきましてはすでにそのときでも批判があり、今日から考えれば、こういう民主憲法のもとに考えれば、これはやはりわれわれとしても非常な批判をすべき法律であることは申すまでもない」というふうにおっしゃっておられました。共謀罪法案は、現代版治安維持法と呼ばれております。治安維持法とはどのような法律であったか。一つは、制定過程は、強行採決のもとでされたということが記されております。治安維持法が議会に提案されると、議会内外から厳しい反対意見と反対運動が起こった。議会内では星島二郎などが、この法案は権力による濫用を招くと強く反対をした。労働組合や農民組合や無産政党も、この法案が議会を通れば、権力の濫用によって自分たちの運動が弾圧されることになると、危機感を募らせて反対運動をした。帝国議会の周りに治安維持法反対の大きなのぼり旗が林立した。議会請願という大衆行動が展開された。ところが、それを押し切って強行採決で成立した。適切に制定されたとは言えないものだったということを言わなくてはなりません。さらに、明治憲法にさえ違反をしていた。先ほどもお話がありましたが、曖昧な構成要件である国体、私有財産制度を、特高警察と思想弾圧担当の当時の検事が意図的に政治的に利用して、これを裁判所が追認した。そして、戦争に反対し、平和と民主主義のために闘い、抵抗する人々に襲いかかった。こういう歴史がございます。人を逮捕、監禁、審問、処罰すべき法律は、明治憲法においても、権力の濫用を許さない構成要件の明確さが求められていた。明治憲法二十三条、「日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ」にも違反をしていたと言わなくてはなりません。そして、治安維持法は国際社会にも背を向けたというのは、その当時の歴史の状況からも明らかであるわけです。戦後、治安維持法が否定された以上、この法律による弾圧犠牲者の救済、名誉回復をするべきではありませんか。法務大臣、いかがでしょうか。

〇金田国務大臣 お答えをいたします。治安維持法は、当時適法に制定されたものでありますので、同法違反の罪に係ります勾留、拘禁は適法でありまして、また、同法違反の罪に係る刑の執行も、適法に構成された裁判所によって言い渡された有罪判決に基づいて適法に行われたものであって、違法があったとは認められません。したがって、治安維持法違反の罪に係る勾留もしくは拘禁または刑の執行により生じた損害を賠償すべき理由はなく、謝罪及び実態調査の必要もないものと思料をいたしております。

〇畑野委員 金田大臣、だめですよ。それをまた繰り返すんですか、共謀罪法案。当時も、明治憲法のもとで、憲法違反、強行採決、国際社会からの批判も聞かない。その結果、侵略戦争に突き進んだんじゃありませんか。そのような認識だから、人権の問題でも、きちっとした国際的な懸念に応えることができないという状況だと言わなくてはなりません。私は、こうした問題を適切ではなかったと、大臣がおっしゃる前に、幾つか申し上げました。もう御高齢なんです。百三歳、百二歳ですよ。それでも頑張って生きてこられた。そういう方たちに戦後の日本の政府としてきちっと対応をするべきだ、今の法律で何ができるのか真剣に考えるべきだというふうに思いますが、金田大臣、いかがですか。

〇金田国務大臣 先ほど申し上げましたとおりでございます。

〇畑野委員 本当に政治が変わる必要があるということを申し上げて、これは必ず解決すると決意を申し上げたいと思います。  次に、同様のことは戦後のレッドパージでも行われてまいりました。二〇一〇年八月三十一日、内閣総理大臣に対して日本弁護士連合会は勧告書を出しております。レッドパージの被害者の方たちです。「申立人らの思想・良心の自由及び結社の自由を侵害するとともに同人らを処遇上差別した重大な人権侵害行為であった。申立人らは、これら解雇等の措置によって、申立人らに非があるかのように取り扱われてその名誉を侵害されたばかりでなく、生活の糧を失うことによって苦しい生活を強いられるなど、生涯にわたる著しい被害を被ってきた。」「当連合会は、国に対し、申立人らが既に高齢であることを鑑みて、可及的速やかに、申立人らの被った被害の回復のために、名誉回復や補償を含めた適切な措置を講ずるよう勧告する。」というふうに述べております。きょうは資料で、毎日新聞と神戸新聞の中に載っております大橋豊さんらの裁判の状況についても載せさせていただきました。戦後最大の人権侵害とされるレッドパージをめぐる全国唯一の国家賠償請求訴訟の原告のお一人で、八十七歳になられておられます。こうした皆さんの、被害者の名誉回復、救済、これを政府として図るべきではないでしょうか。

〇金田国務大臣 ただいま御指摘の免職または解雇につきましては、その行為の時点において、連合国の最高司令官の指示に従ってなされたもので、法律上の効力を有しておりますし、その後に、平和条約の発効により連合国最高司令官の指示が効力を失ったとしても、影響を受けるものではないという司法判断が確定しております。法務省としては、このような司法判断を踏まえて、何らかの対応を実施することについては考えておりません。

〇畑野委員 この大橋さんは、レッドパージとしての被害者で、今大臣が言うような冷たい対応で、ずっと救済されてこなかったわけです。そして、国家公務員として逓信省、電気通信省に在職していたわけですが、その働いていた時期の年金の支給もされていないと訴えておられます。きちっと調査すべきではありませんか。 可部政府参考人 お答えいたします。一般論として申し上げますと、国家公務員として働いていた期間があるにもかかわらず、何らかの理由で年金が支給されていない場合がございましたら、年金支給事務を行っております実施機関、こちらにおきまして事実関係を確認した上で、法令に従って適切に対応をしているものと考えております。

〇畑野委員 これも、私が質問するということで、初めてそういう御答弁をいただくことができました。  私の父もレッドパージ被害者の一人です。多くの方々と御家族が塗炭の苦しみをされてきた。この戦後最大の人権侵害の解決、これも図らなくてはならないということを申し上げたいと思います。さらに、女性の人権の問題について伺います。五月二十四日、院内で、女性差別撤廃条約選択議定書の批准に向けて集会が開かれました。女性差別撤廃条約は、一九七九年、国連総会で採択され、一九八一年に発効し、日本は一九八五年に締結をいたしました。その女性差別撤廃条約の選択議定書は、一九九九年、国連総会で採択され、二〇〇〇年に発効いたしました。女性差別撤廃条約というのは報告制度しかなくて、最も弱い実施措置と言われておりますので、選択議定書では、実施措置としての個人通報制度と調査制度という新たな二つの制度を設けております。伺いますが、この女性差別撤廃条約選択議定書についても、日本政府として締結すべきではないかと思いますが、いかがですか。

〇飯島政府参考人 お答えいたします。委員御指摘の女子差別撤廃条約選択議定書におきましては個人通報制度が規定されておりますが、この制度は、条約の実施の効果的な担保を図るとの趣旨から注目すべき制度であると認識しております。他方、この個人通報制度を通じて、女子差別撤廃委員会から、例えば、国内の確定判決とは異なる内容の見解、あるいは通報者に対する損害賠償や補償を要請する見解、さらに法改正を求める見解等が出されました場合には、我が国の司法制度、立法制度との関係でどのように対応するか、他国に関する通報事例等も踏まえつつ検討する必要があると認識しております。政府としましては、これまで十九回にわたりまして個人通報制度関係省庁研究会を開催するとともに、諸外国における個人通報制度の導入前の準備や運用の実態等について調査等を行っているところでございます。こうした調査も含め、各方面から寄せられる意見等も踏まえつつ、引き続き政府として真剣に検討してまいりたいと考えております。

〇畑野委員 真剣に検討した結果、早く締結するように強く求めておきます。最後に、先ほどから議論になっている共謀罪法案についての国連特別報告者ジョセフ・カナタッチ氏の日本政府に対する公開書簡について伺います。  カナタッチ氏からは、プライバシーの権利と表現の自由への過度の制限につながる可能性があると、懸念の内容などを、そして質問を内閣総理大臣に宛てて寄せられました。今、参議院の法務委員会でも審議がされておりますけれども、これは私は、早急に、国連特別報告者の懸念を払拭すべく、国としてきちっと回答し、その内容を示すべきだと思いますが、いかがですか。

〇飯島政府参考人 お答えいたします。この特別報告者は、先ほどの審議でも御説明がありましたとおり、特定の国の状況または特定の人権に関するテーマに関し調査報告を行うために、人権理事会から個人の資格で任命された独立の専門家であり、この専門家の見解は国連の立場を反映するものではございません。今回出されました公開書簡を受けまして、政府は、我が方のジュネーブ代表部から国連人権高等弁務官事務所を通じて、直接説明する機会が得られることもなく、公開書簡の形で一方的に発出をされたこと、及び同書簡の内容は明らかに不適切なものであることを抗議しております。また、この抗議の中におきまして、テロ等準備罪は、百八十七の国・地域が締結しているTOC条約を締結するためにも必要なものであること、また、テロ等準備罪処罰法案は、本条約が認めている組織的な犯罪集団が関与するとの要件及び合意の内容を推進するための行為を伴うとの要件の双方を活用した、他の締約国と比しても厳格な要件を定めたものであって、プライバシーの権利や表現の自由を不当に制約する、あるいは恣意的な運用がなされるといった指摘が当たらないことも指摘しております。政府としましては、こうした取り組みを国際社会に対して正確に説明すべく、同書簡に示されている照会事項につきましても、追ってしっかりと立場を正式に回答する予定でございます。

〇畑野委員 信義則の話がありましたけれども、カナタッチさんからそういうのが出たというのは、普通は、一カ月かかって、答弁にかかるという関係でしょう。独立した、本当に国連からきちっと位置づけられてやっている方ですよ。ここの委員会で強行採決を十九日にする、そういう状況の中で十八日に、やむにやまれず、これはもう間に合わないということで、公開書簡という方法しか適切な、有効なやり方はないということじゃありませんか。国連は、別に、ちゃんと対話しよう、説明してくださいと言っているわけですから、それに答えるべきだ。時間が参りました。委員長、政府がきちっとした回答、そしてそれに基づく当委員会での審議を行うように求めたいと思いますが、いかがですか。

〇鈴木委員長 理事会で協議します。

〇畑野委員 以上で終わります。