日本共産党の志位和夫委員長が28日に発表した「『いじめ』のない学校と社会を―日本共産党の提案―」(全文)は次の通りです。


「いじめ自殺」が各地でおき、多くの人々が心を痛めています。深刻化する「いじめ」をとめることは、日本社会の切実な問題です。日本共産党は子どもの命を守り、「いじめ」問題を解決していくために、以下の提案を発表します。

今日の「いじめ」と社会がとりくむべき二つの課題

深刻さをます、子どもたちの「いじめ」

今日の「いじめ」は人間関係を利用しながら相手に恥辱や恐怖を与え、思い通りに支配しようとするもので、ときに子どもを死ぬまでおいつめる事件に発展し、ネットによる中傷、傷害、性暴力、恐喝などの犯罪ともつながっています。多くの「いじめ」被害者は、その後の人生を変えてしまうような心の傷を受け、おとなになっても恐怖で社会に出られないなど後遺症に苦しんでいます。「いじめ」はいかなる形をとろうとも人権侵害であり、暴力です。

しかも「いじめ」は、どの学級にもあるといわれるほど広がっています。責め合うような言葉をかわしたり、“遊び”や“ふざけ”として人が傷つくことを楽しんだり、その様子をまわりで見ていたり――こうした風景が日常のものになれば、子どもたち全体の成長に暗いかげをおとすことになります。

子どもの命を守り抜き、教育と社会のあり方を見直す

「いじめ」問題の課題はさまざまありますが、とりわけ社会が次の二つのことに正面からとりくみ、事態を打開することが大切です。

第一は、目の前の「いじめ」から、子どもたちのかけがえのない命、心身を守り抜くことです。この点で子どもを守れないケースが繰り返されていることは大きな問題です。同時に、「いじめ」を解決した貴重な実践が各地にあることが重要です。これらから教訓をくみとれば、子どもを着実に救う道が開けます。

第二は、根本的な対策として、なぜ「いじめ」がここまで深刻になったのかを考え、その要因をなくすことです。「いじめ」の芽はどの時代・社会にもありますが、それがたやすく深刻な「いじめ」にエスカレートしていく点に、今日の問題があります。教育や社会のあり方の問題ととらえて、その改革に着手することが求められています。

提案1 「いじめ」から子どもの命を守る――「いじめ」対応の基本原則の確立

「いじめ自殺」が社会問題になり30年近くたった今なお、子どもを守れないケースが繰り返されています。「いじめ」を訴えても何もしない、「いじめ」を「けんか」「トラブル」と扱う、表面的な「握手で仲直り」、子どもが自殺したら「いじめ」の事実を隠ぺいする――そうした対応で、いじめ被害者とその家族は深く傷つけられています。また「いじめられている側にも問題がある」という「いじめ」が人権侵害や暴力であることを見ない誤りも軽視できません。

一方で、「いじめ」を解決し、辛くも子どもの命を守ったなどの経験が各地で積み重ねられています。その貴重な経験を学びながら、全国の学校で、子どもの命を守るための基本的な原則を、教職員や保護者の手で確立していくことが重要です。そのため私たちは以下の提案をします。

「いじめ」への対応を後まわしにしない――子どもの命最優先の原則(安全配慮義務)を明確にする

「いじめ」の相談があったとき、忙しいから後まわしにするなどして重大な結果となるケースがあとを絶ちません。学校教育においてどんな「大切」な仕事があろうと、子どもの命が一番大切だという、子どもの安全への深い思いを確立することが必要です。この間、学校事故などの裁判をつうじて「学校は子どもを預かる以上、子どもの安全に最大限の配慮を払う必要がある」という学校における「安全配慮義務」が定着しつつあります。人権侵害と暴力である「いじめ」の放置・隠ぺいが、「安全配慮義務」違反に当たることを明確にし、学校と教育行政の基本原則とします。

「いじめ」の解決はみんなの力で――ささいなことに見えても様子見せず、全教職員、全保護者に知らせる

「いじめ」はおとなに分からないように行われ、加害者はもとより、被害者も「いじめ」を認めない場合が少なくありません。それだけに訴えやシグナルがあった時は、相当深刻な段階になっていると考えたほうが妥当です。「いじめかな」と少しでも疑いがあれば、ただちに全教職員で情報を共有し、子どもの命最優先のすみやかな対応が必要です。「事実確認してから報告」などの形で様子見をして事態を悪化させてはなりません。

具体的なことをどこまで言うかは別にして、「いじめがおきている」ことはすみやかに全保護者に伝え、保護者たちも子どもの様子や変化を見守れるようにし、保護者と教員とのコミュニケーションを密にすることも大切です。「いじめ」があることをみんなが知り、おとなたちが心配し、力をあわせる姿を示すことは、子どもたちを勇気づけます。

「いじめ」アンケートは、子どもの信頼をえられる形で行うことが大切です。無記名で、内容は「自分が嫌なことをやらされたことがあるか」「給食をよそう時避けられる人はいるか」など具体的に尋ねるなどの方法が効果をあげています。

子どもの自主的活動の比重を高めるなど、いじめを止める人間関係をつくる

「運動会を通じて団結ができ、『いじめ』になりそうになっても『やめなよ』と声がかかるようになった」――一つのことを一緒にとりくんだ子どもたちの達成感や信頼関係は、「いじめ」をなくすうえで大きな力を発揮します。

ところが、国の「授業時間数をふやせ」などの政策のもとで、各地で運動会や文化祭などの時間が削られ、自主的活動の比重が下がっています。その比重をたかめ、授業も含めて、対等で安心できる人間関係をつくることを学校教育の柱として位置づけるべきです。生徒会や学級での自主的な「いじめ」を解決する活動も大切です。また、海外からはじまったピア・カウンセリングやさまざまないじめ防止プログラムも参考になります。

「いじめ」のことは子どもたちが誰よりも知っています。「いじめ」を止める言葉も、子どもの言葉がいちばん効き目があります。そして多くの子どもが「いじめをなんとかしたい」と思っています。こうした子どもの力を信頼して、子どもたちが「いじめ」を止める人間関係をつくることを支えましょう。そのことは子どもの豊かな成長をもたらします。

被害者の安全を確保し、加害者には「いじめ」をやめるまでしっかり対応する

いじめられている子どもは命の危機にさらされているといっても過言ではありません。安心して学校にいられるような対応とともに、「心身を犠牲にしてまで学校に来ることはない」ことを伝え、安全の確保を優先します。また現在、「いじめ」によって不登校になった場合、「適応指導教室」などのきわめて不十分な対応しかありません。本人の気持ちも尊重し、よりよい環境で学ぶための、医療費や通学費をふくむ予算と体制を保障すべきです。

いじめる子には、「いじめ」を反省し、「いじめ」をしなくなり、人間的に立ち直るまで、徹底した措置とケアを行います。いじめる子どもは、「いじめ」に走るだけの悩みやストレスを抱えています。その苦しい状態に共感しながら、子ども自身が立ち直ることを支える愛情が欠かせません。厳罰主義は、子どもの鬱屈(うっくつ)した心をさらにゆがめるだけです。また加害者の「出席停止措置」は緊急避難としてありえますが、その間の措置やケア、学習の保障がなければ、逆効果になりかねません。慎重に選択すべきです。

児童相談所などの専門機関、心理臨床家や医師等の専門家、被害者団体などと連携することも大切です。重大な犯罪にあたる場合、警察に被害届をだし、少年法による更生の手続きに入ることがあります。同時に、警察は子どもの教育や更生の機関ではなく、過度に依存することは正しくありません。

被害者、遺族の知る権利の尊重

「いじめ」が重大な事件・事故となった場合、事実調査が行われます。被害者やその家族はほんらいその内容を知る権利があります。しかし多くの場合、事実調査は不十分で、その説明は被害者側からみてまったく納得できないものです。

事実調査は、再発防止とともに、被害者、遺族の知る権利を保障するうえでも不可欠です。とりわけ自殺などの後のアンケートは、遺族につつみ隠さず伝えるとともに、遺族が真相の解明に参加することを保障すべきです。子どものプライバシーの保護を理由に、被害者、遺族の知る権利をほとんど認めない行政の姿勢は改められるべきです。

以上述べてきた方向は私たちの試案であり、完成されたものではありません。全国の学校のとりくみをへて、よりよいものに発展することを心から期待するものです。

「いじめ」の解決にとりくむための条件整備をすすめる

――教員の「多忙化」の解消、35人学級の完成、養護教諭・カウンセラーの増員、「いじめ」問題の研修

一般紙の調査では、7割の教員が「いじめ」対応の時間が足りないと答えています。上からの「教育改革」で学校の雑多な業務がふえ、教員は過労死ラインで働いても肝心の子どもと遊んだり、授業準備をする時間が確保できず悩んでいます。「いじめ」対策が最優先ですが、この状態は一刻も早く改善されなければなりません。多すぎる業務を教職員の参加のもとで整理し、教職員が「いじめ」に向き合う条件をつくります。

子ども一人ひとりをていねいに見られる少人数学級も重要です。そのため、途中で止まっている「35人学級」をすみやかに完成させるべきです。「いじめ」を発見しやすい立場にある養護教諭の複数配置校を現在の児童生徒数800人以上から500人以上とし、増員をはかります。カウンセラーも増員し、専門職としての独立性を尊重します。

「いじめ」がこれだけ深刻化しているのに、教員には独自の研修がありません。効果の薄い他の官製研修を削り、「いじめ」問題の研修を保障します。研修は文科省や教育委員会に任せず、教育学会や小児医師会などの関係学会が現場教員やいじめ被害者団体の参加も得てガイドラインを作成し、それを参考にしながら、教員たちが自主的に研修できるようにします。

――「いじめ防止センター」(仮称)の設立

「いじめ」が教員にも及んだり、保護者も「いじめ」に加わるなど、解決がきわめて困難なケースがみられるようになりました。こうしたケースの相談・対応を行い、日本での「いじめ」対応のセンターとしての役割を担う、「いじめ防止センター」(仮称)を国の責任で設立します。専門性の高い医師、心理の専門家、法律家、ケースワーカー、教育研究者などで構成し、いじめ被害者団体との連携もはかります。「センター」は文科省の下に置かず、高い独立性を保障します。同時に、児童相談所等の拡充をすすめます。

――「いじめ」防止に関する法制化について

今日の「いじめ」は深刻な人権侵害であり暴力です。それから子どもたちの安全と人権を保障するための法的整備が必要です。人権侵害と暴力性を明確にした「いじめ」の定義、子どものいじめられず安全に生きる権利、学校・行政の安全配慮義務、行政への条件整備の義務付け、被害者と家族の「知る権利」などが国民的に検討され、明確にされる必要があります。

同時に法令によって子どもの言動を細かく監視したり、厳罰主義を導入したり、学校での教育活動や家庭での子育てに不当な介入をすすめることは、学校や家庭を息苦しい場にして、むしろ「いじめ」を広げることになります。そうした「いじめ」問題の解決に逆行する法令には反対します。

――教育行政の「いじめ」対応の改善

「いじめ」問題を解決するうえで、国と地方の教育行政は積極的な役割を果たすことが期待されています。ところがこの間、隠ぺいなど大きな問題をかかえてきました。この事態をなくすために、次の三つの点で改善をはかることを訴えます。

第一は、「いじめ半減」などの数値目標をやめることです。このことが教育行政の上意下達の風潮とあいまって、「いじめ隠し」の土壌となっています。また解決率を目標にしたとしても、数字の操作や隠ぺいがおきることは明らかです。

第二は、教職員をバラバラにしている教員政策を見直すことです。上からの教員評価、中間管理職の新設などで教員の連帯が損なわれ、「いじめ」解決に必要な教職員の連携や協力にも悪影響を与えています。一刻も早く改善すべきです。

第三は、「いじめ」問題の位置づけをただすことです。長年、「いじめ」を不登校などと一緒に「生徒指導上の諸問題」として扱ってきたこと、「いじめ」統計は県により発生率が極端に違う不自然なものにもかかわらず放置されてきたことなど、「いじめ」問題は真剣に扱われているとはいえません。ことの重要性にふさわしく、その位置づけをただすべきです。

提案2 子どもたちに過度のストレスを与えている教育と社会を変える

「いじめ」をした子どもたちは「いじめてスカッとした」「自分のみじめな状態を救うために誰かを否定したくて仕方なかった」と言っています。「いじめ」は、子どものいら立ちの発散という面があります。

「いじめ」が過去と比べ深刻化し、日常化しているのは、子どもたちが強いストレスの下におかれ、過去と比べものにならないようないら立ちをかかえているからではないでしょうか。それは「いじめ」だけでなく、多発する校内暴力、学級崩壊、自傷行為など子どもたちのさまざまな心配な行動の背景にもなっています。

競争と管理の教育と子どもたち

子どもたちのストレスを考えるとき、教育自体が競争的で管理的になっていることを考えないわけにはいきません。

受験競争は低年齢化し、塾通いの割合は十数年間で倍近くに増え、4割の子どもが「時間的ゆとりがない」と答えています。子どもたちは忙しく、遊ぶ時間もへっています。子どもの遊びは、子どもの心を解き放ち、友だちとのトラブルを解決しながら人間関係も学んでいく、子ども期に欠かせないものです。それがへっていることは大きな問題です。

競争や忙しさは、人間をバラバラにし孤立させます。少なくない子どもたちが「友だちに本音を言えない」「友だちの中にいるとキャラを演じ続けるので疲れる」と訴えています。ユニセフの国際調査では「孤独を感じる」日本の子どもの割合は29・8%に達し、他国とくらべてきわめて高い数値となっています。また他人からの評価がたえず気になり、「ありのままの自分でいい」という安心感が十分もてないでいます。このような自己肯定感情がたいへん低いことも心配なことです。

国内の調査では子どものストレスの最大の因子は「勉強」です。競争教育の勉強は子どもを早くから「できる子」「できない子」により分け、多くの子どもが劣等感を与えられ、「わかる喜び」やみんなで学ぶ心地よさを得ることができません。この間の「学力向上」政策でテストばかり繰り返したり、夏休みを減らしてまで授業時間を伸ばすなども、子どもに強いストレスを与えています。

競争の教育と一体ですすめられている管理の教育は、子どもたちのさまざまな問題行動を上から押さえ込むものです。例えばこの間、「ゼロトレランス(許容度ゼロ)」政策が各地で導入されています。しかし、子どもが「悪さ」をするのは、何らかの悩みや事情があるからです。そうした悩みや事情を聞き取られず、頭ごなしに否定されれば、子どもは心に憎悪の感情を抱くようになります。

「いじめ社会」と子どもたち

社会の変化に目をむければ、1990年代後半からの「構造改革」により、国民のなかに「貧困と格差」が急速に広がったことは重大な問題です。

競争原理が労働や社会の各分野に浸透し、人間的な連帯が弱まり、弱い立場の人々を攻撃する風潮が強まりました。弱肉強食の社会を正当化するため、競争に負ける方が悪いという「自己責任論」の考え方もひろがっています。文化のなかでは、タレントをイジったり困らせたりして笑いをとる、嘲笑的で暴力的な要素が組み込まれるようになりました。

こうして社会自体が「いじめ社会」ともいうべき傾向をつよめているのではないでしょうか。子どもの「いじめ」の深刻化は、その反映にほかなりません。

「貧困と格差」は、子どもの生活の基盤である家庭を直撃しました。貧困ライン以下の家庭でくらす子どもの割合は15%、先進工業国35カ国中9番目の高さです。親たちの余裕がなくなり、家庭の機能が弱まっていることは、子どもにとってつらいことです。また親たちは、競争的な教育や子育ての「自己責任論」の風潮のなかで、子育てへの不安をつのらせています。そのなかでテストの点数を過度に気にするなどの傾向もうまれています。

子どもたちが、人と人との間で生きる喜びを感じられる教育と社会を

のびのび育つべき多くの子どもたちが、いら立ちをマグマのようにため、強い孤独感につつまれている――このことは、これまでの競争的な教育制度や経済社会が、子どもの成長といよいよ相いれなくなっていることを示しています。その枠から出て、子どもたちが人と人との間で生きる喜びを感じられる教育と社会を築くために、私たちは以下の三つのことを提案します。

――子どもの声に耳をかたむけ、子どもの社会参加を保障することで、子どもの成長を支える社会や教育を

子どもたちのいら立ちや孤独感の裏側には、「自分らしく生きたい」「本音で語り合える友だちがほしい」「生きづらさを受けとめてほしい」という前向きな願いや鋭い正義感があります。この前向きな力が引き出されたとき、子どもたちは自らすばらしい成長をとげます。

そのために、子どもの声に耳をかたむけ、子どもの社会参加を保障することが大切です。世界では、子どもの権利条約の精神にそって生徒が学校運営に参加するなど、子どもの社会参加が大きな流れになっています。耳をかたむけられ、参加を保障された子どもたちは、自己肯定感情を深め、人と人との間で生きる喜びを感じながら成長できます。こうした教育や社会は、おとな同士の人間関係も豊かで平和なものにするのではないでしょうか。

――競争的な教育制度そのものからの脱却を急ぐ

日本の競争的な教育制度は、憲法の精神に反して、財界の要求で1960年代ごろからつくられ、自民党政治により強められてきました。それは高校受験の存在、1点差できまる個別の大学入試など他国に例がなく、子どもたちの創造性や思考力をゆがめ、世界では通用しないものになりつつあります。国連・子どもの権利委員会も日本政府に再三、「過度に競争的な教育制度」の改善を勧告しています。過度な競争教育から脱却し、すべての子どもたちの能力を豊かにのばす教育と学校制度のあり方を探求する、国民的な議論ととりくみをよびかけます。

――「いじめ社会」に立ち向かい、人間的な連帯のある社会に

東日本大震災はあらためて助け合い連帯することにこそ、人間らしさがあることを示しました。人間の尊厳を踏みにじる政治や経済社会にたいする国民の批判は、「原発なくそう」「ストップ貧困」などさまざまな運動や新しい政治を模索する動きとしてあらわれています。そうしたおとなたちの姿をみて、子どもたちは明日に希望をつなぎます。

子どものことを学校、地域、社会の各分野で語り合い、「いじめ」のない学校と社会をつくるための共同をひろげることを心からよびかけます。

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写真提供:しんぶん赤旗
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